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月報 No.182 (2020年4月号)復活の真実とその意義

執筆者の写真: バルセロナ日本語で聖書を読む会バルセロナ日本語で聖書を読む会

更新日:2020年6月3日


復活 の真実とその意義         


コリント人への手紙第一、 15 章 3 8 節、 12 20 節

キリストのよみがえり。死者の復活。この非常に呑み込みがたい話がいかに本当の話であるか、それがこのテキストに書かれています。 確かに 理解しがたい事ではありますが、 しかしこれが無いとキリスト教は成り立ちません。今日は改めてこのテキストを読み込んでみましょう。

コリント人への手紙には、主がまずケファ(使徒ペテロ)に現れ、それから十二弟子に現れたこと。その後、500 人以上の兄弟たちに同時に現れたこと。その後、ヤコブに現れ、それからすべての使徒たちに現れ、最後に、この書簡の筆者であるパウロにも現れたとあります。他の聖書箇所には、キリストは復活されてから 昇天までの 40 日間で 人々の前に 10 回現れています。興味深いのは、復活されたイエスは不信者の前には現れていない、ということです。


しかし、復活のキリストは信者たちが見た幻覚だったのだろうと想定するのはむしろ非現実的です。これだけの人数が、同時に同じ幻覚を見るということはまずありえないからです。


また、 「 主が預言されていた 「死後の復活」 は事実だった、自分たちは復活のイエスに会った 」 と いう 嘘 を 弟子たちが人々に吹聴して回ったというのも考えられない。というのは、イエスの復活が事実だったと延べ伝えた弟子たちは全員迫害を受けているにもかかわらず、その言葉を曲げなかったからです。


人は自分の命や権利を守るために嘘をつくことはありますが、自分の命が危険にさらされてもなお 嘘をつき通すということは でき ません。主イエスが逮捕されたとき、自 分も逮捕されるのを恐れて散り散りに逃げた弟子たちが こ の後、逆さ十字の刑、皮剥の刑、 火あぶりの刑、という 拷問 に遭ってもなお主の復活は事実だと叫び続けたのは、 まさしく それが真実だからです。


キリストが死からよみがえったということは、キリストがまさしく 神の子であることを宣言しています。(ローマ人への手紙 1 章 34 節)そして 聖書は、キリストは初穂で私たちはそれに続くと言っています。


つまり キリストが死に打ち勝って復活したということは、 キリストに従う 私たちも また 死に勝つこと、死を恐れず、死を乗り越えて生きることを意味します。弟子たちが死をも恐れなかった強さはここにあります。 私たちもそのイエスに続くのです。


弟子たちは、復活したイエスがいつも彼らと一緒に お ら れることを実感していました。 その通り、キリストは今も生きてここにおられ、私たちが為すキリストのための奉仕をすべて知っておられ、正しく報いてくださいます。

さて、パウロは(コリント上、15 51,52 )、イエスがもう一度来られる時、すなわち救いが完成するとき、墓に葬られているクリスチャンたちは新しいキリストの復活の体が 与えられて蘇ると言っています。どういうことでしょうか。


パウロは同書簡の 15 章 35~38 節で 「あなた方が蒔くものは種です。しかし神は御心のままにそれにからだを与え、それぞれの種にそれ自身の体をお与えになります」 と言っています。確かに種は土中に蒔くとそこで朽ちますが、そこから新しい息吹が起こります。それは種に命があるからです。同じように、私たちの体にも永遠の命がある。 だから死んで朽ちてもまた蘇るのです。なんという祝福でしょうか。クリスチャンは死んで終わりではないのです。死んでから新しい体での永遠が始まるの です。そしてそのことの保証がキリストの復活です。これが「キリストの復活は初穂である」ということです。

キリストは蘇られたのです。今も生きておられるこの主に信頼して生きる人生を、ぜひ受け入れてください。


北島嗣郎 伝道師






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