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バルセロナ
日本語で聖書を読む会
Barcelona Japanese Bible Study Group
Carved a history of 30 years
さあ、湖の向こう岸に渡ろう
ルカ福音書 8 章 22 節
おかげ様で発足30年を超えました
この集会は 1991 年秋に、駐在員夫人お二人が発起人となって始まった集会です。プロテスタント、カトリック、洗礼を受けていない方、聖書を読んだことのない方、すべての方を歓迎しています。
なお当集会は、ものみの塔、モルモン教、統一教会などといった、いわゆる聖書の内容を異にする団体とは関係ありません。現在の主催者は、日本キリスト教会 横浜海岸教会(長老派)の出身者です。
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バルセロナ日本語で聖書を読む会
1月6日読了時間: 2分
「同じ愛」舛田 基一 牧師(2024年12月、月報No.238)
ルカによる福音書15章25-32節 (放蕩息子とその兄の、その後のストーリー) 相続金の生前贈与を受けた後、放蕩に身をやつした弟が、死ぬよりは、と恥をしのんで実家に帰ってきた。その子の帰りを喜んだ父は盛大な歓迎会を催したが、それは父のもとで実直に働き続けながら地味な生活を送...
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2024年11月22日読了時間: 1分
「裸でそこに帰ろう」新井 純 牧師(2024年11月9日 月報NO.237)
ヨブ記1章1-22節 人生に起こる困難を因果応報と考える哲学もあるが、善人にも試練は訪れるし、望ましからぬ行為をしている人がこの世的に恵まれた生活をしているようなこともある。このような納得しがたい世の中において、神は一体何を見ておられるのか。神は一体、何を善しとされ...
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2024年10月30日読了時間: 1分
「宝を見る目」佐々木 良子 牧師(2024年 10月 月報 No.236)
コリント信徒への手紙 二 4章 7-18節。 パウロはこの書簡の中で 「わたしたちは、このような宝を土の器に納めています」 と言っています。土の器とは人間のこと。では 「このような宝」 とは何でしょうか。また、「わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています」 とは? ...
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2024年9月29日読了時間: 1分
「キリストを知っていることの素晴らしさ」北島嗣郎伝道師(2024年9月26日、月報235号)
ピリピ人への手紙3章7-8節。生粋のローマ市民として特権階級に生まれたパウロがキリスト宣教のために投獄され、拷問を受け、後に処刑された。その獄中から、喜びの手紙をピリピの人に送り、彼らを励ましている。なぜこのようなことができるのでしょう。パウロは 「キリストを知っていること...
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2024年7月28日読了時間: 1分
「人を赦す」北島嗣郎伝道師(2024年7月23日、月報 No.233)
マタイ福音書18:21-35 亡き永六輔さんはこのようなことを言いました。「生きているということは、人にものを借りるようなもの。生きていくということは、人にものを返していくようなもの」 今日のみ言葉は王に1万タラント(現代の6千億円)の借金を赦してもらいながら、自分が別の...
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2024年6月24日読了時間: 1分
「思い悩むな」尼川 匡志 伝道師(2024年6月18日、月報232号)
マタイ福音書 6:25-34. 人には心配事が絶えません。幼い時よりも、経験も知恵も豊かな大人になってからのほうがもっと心配事が増えます。私たちはなぜ心配するのでしょうか。心配とは何でしょうか。心配を取り除く方法はあるのでしょうか。マタイ福音書をもとに、尼川伝道師がとても分...
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2024年6月1日読了時間: 1分
「新しい律法」新井 純 牧師(2024年5月、月報231号)
使徒言行録 2:22-28 主イエスの処刑後、明日は我が身とおびえていた弟子たちのうち、処刑直前に恐怖心から3回も主を知らないと言ってしまったペテロが、「これを言ったらあなたも処刑でしょう」 という一言を言い放ったのが今日のテキストです。彼がこれを言えたのは、弟子たちが新し...
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2024年4月29日読了時間: 1分
「心を高くあげよう」佐々木 良子 牧師(2024年4月、月報230号)
「知れ、主こそ神であると。」 この言葉が中心となっている短い詩篇100篇が私たちに伝えていることは非常に深いのです。人生の歩みの中で何度も神に背いてしまう私たちを、時には懲らしめながらそれでも愛し、憐み、引き寄せてくださる神様。その主に私たちが顔を向けて礼拝するには、どのよ...
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2024年3月28日読了時間: 1分
「もうひとつの声」北島 嗣郎 伝道師(2024年3月集会、月報No.229)
マタイ27:21-26 主イエスがピラトによって裁判にかけられたとき、ピラトはイエス様に罪を見出すことができずに言った。「この人の血について私には責任がない。おまえたちで始末するがよい。」 すると群衆は叫んだ。「その人の血は私たちや私たちの子どもらの上に。」 群衆が叫んだ...
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2024年2月21日読了時間: 1分
「Red Bullではなく神様が翼を授ける」Markus Neitzel 宣教師(2024年2月、月報228号)
【聖書:イザヤ書40:26-31】命題のドリンクは世界一売れているエナジードリンクで、キャッチフレーズは「Red Bull 翼を授ける」でCMもすべてこのフレーズを展開します。聖書は神様が私たちに翼をくださると言います。大空に飛び立ち、星空を横切り、今までとは違う視点から世...
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2024年1月31日読了時間: 1分
「微力ではあるが無力ではない」 新井 純 牧師(2024年1月、月報227号)
「財産を売り払い貧しい人に施しなさい」 と主は裕福な青年に言われた。私たちもそうしなければ天国に入れないのでしょうか?いや、実は主イエスが本当に青年に指摘したかったことはもっと奥の深いことだったのです。そしてこれは、微力ながらも私たちにもできることなのです。読むと耳に痛いこ...
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2023年12月12日読了時間: 1分
「クリスマスに考える~神の視点と、私の視点」尼川 匡志 伝道師(2023年12月、月報226号)
マリアへの受胎告知はマリアにとって恐怖の幕開けだった。人間にはありがちな大問題の発生は神の視点からすると、人と神の出会いの時を意味するのです。社会の端で打ち沈むような人にも神の方から近づいてくださる主。その神様の視点をご一緒に考えてみませんか。尼川先生のわかりやすいメッセー...
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2023年11月29日読了時間: 1分
「婚宴に招かれている者として」佐々木 良子 牧師(2023年11月、月報No.225)
マタイ25:1-13、賢いおとめ5人と愚かなおとめ5人が花婿を待つ間に油が切れそうになったが、油を切らした愚かなおとめが請い求めても賢いおとめたちが油を分けてあげなかったのはなぜなのか?そもそも油とは何を指しているのか?花婿を待つということは?こうした疑問が湧くことが多いこ...
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2023年10月31日読了時間: 1分
「終わりの時に止まるべき所」安藤 廣之 牧師(2023年10月、月報224号)
パウロが処刑される直前に書いたこの手紙で、彼が最後に私たちに残した言葉。それは金銭欲、嘘、神をあざける、恩知らず、中傷、残忍、裏切り、軽率、など今も変わらずある状況に直面した時にどこに止まるべきかとい う内容でした。このパウロの勧めの言葉ほど納得のいくものは無いと感じます。...
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2023年9月24日読了時間: 1分
「アッバ、父よ」関谷 共美 伝道師 (2023年9月、月報223号)
神を信じていても人生で激しい試みに逢う私たち。悲しみ嘆き,疲れ果て,地に倒れ、もう一言も発することができず祈ることもできないようなときに,「アッバ,父よ」という声にならない声を,神様は聞き届けてくださるのでしょうか。ガラテヤ人達に書き送ったパウロの手紙と、深い悩みの底を生き...
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2023年7月22日読了時間: 1分
「ユダとは誰か」北島 嗣郎 伝道師(2023年7月19日、月報221号)
主イエスが特に愛された12弟子のグループで、会計を任されるほどの信頼を得ていたイスカリオテのユダ。その彼が銀貨30枚というお金に目がくらんで主イエスを裏切る行為に走った。このユダに一体何が起こったのか。そもそもユダとは誰なのか。北島伝道師によるメッセージに耳を傾け、この日の...
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2023年6月20日読了時間: 1分
「人生の嵐にあった時」北島 嗣郎 伝道師(2023年6月13日、月報210号)
人生の嵐に巻き込まれ、ここは神頼みと祈るとき、あなたの神はどこにいますか?キリスト・イエスは神でありながら人間になり、私たちが遭遇する人生の辛苦を舐め、嵐を一緒に体験された方。その神だからこそ、嵐の中の私たちを深く理解でき、支えてくださる。ではこの嵐を乗り越えるために私たち...
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2023年5月29日読了時間: 1分
「わたしは良い羊飼い」佐々木 良子 牧師 (2023年5月19日、月報No.219)
私たちは誰もがこの世の命を終えるが、その先に続く命への希望を持つのがキリスト者。ただし自分の力でこの命を得ることはできない。主イエスが 「わたしは羊の門である」 と言われた通り、主こそ世界にひとつしかない御国への入り口。では主はその門の入り口で座って待っておられるのだろうか...
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2023年5月1日読了時間: 1分
『生きている者たちとの交わりを通して』佐々木 良子 師(2023年4月27日、月報No.218)
愛する我が子の死という十字架の重さに耐えかねていた頃の私には、復活された主の命が私たちにも与えられているという喜びはわかりませんでした。しかし今生きている信仰者との交わりを通してこれは少しずつ自分の中で確かなものとなり、讃美歌XXI...
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2023年3月26日読了時間: 1分
「朝まだき祈り」関谷 共美 師(2023年3月、月報217号)
「なぜ私ばかりにこのような不幸が重なるのか。こんな人生に意味があるのか。神なんていない!」 こう叫んだことがありますか。詩編88篇の著者ヘマンも」そうでした。祈っても祈っても神は応えない。それでもヘマンは祈り続ける。それはなぜなのか。こういう時の私たちにとって、救いは、慰め...
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