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月報No.198(2021年8月) 失望に終わらない希望

ローマ人への手紙5章1−5節 フランクフルト日本語福音キリスト教会 矢吹 博 牧師


人は大きなことや小さなこと、いろいろな希望を持って生きています。ひどいことが起きて泣き悲しみ、怒るような事があったとしても、何かの希望が心の中に湧いてくるならば、立ち上がって進むことができます。パウロは、選民を自慢しているユダヤ人も含めて全ての人は神の前に罪人であること、そして、努力や行いによって神に義と認められる人は誰もいないこと、ただイエスをキリストであると信じる人だけが義と認められると語ってきました。そして、義と認められた人に神が三つの祝福を送ってくださったと1−2節で述べているのです。


1) 「私たちの主イエス・キリストによって神との平和を持っています。」(1節)

神との平和は、私たちがイエスを救い主だと信じた時、神との和解が実現し、

すぐに実現しました。


2) 「このキリストによって私たちは、信仰によって、今立っているこの恵みに導き

入れられました。」(2節a)

神の恵みは、どんなときでもイエスを信じて義と認められた人に注がれています。


3) 「神の栄光にあずかる望みを喜んでいます。」(2節b)

「神の栄光にあずかる」というのは、クリスチャンの未来に完全に実現するものです。

ですから、「望み」と書いてあるのです。それはこの世界にある、消えていくような

「望み」とは違います。神によって義とされたクリスチャンに保証されたものです。

ですから、間違いなくその時が来るということを喜んでいるのです。いや、

大いに喜んでいるのです。


けれども、神はクリスチャンを、すぐにご自分の栄光に引き寄せられるのではありません。神さまとの平和を持ち、神さまの恵みの中に立ち、将来に間違いのない約束が待ち構えるといっても 「苦難」が待ち構えています。ここで言われている苦難とは、具体的には信仰のために誰かから非難されたり、迫害されたりすることです。イエスさまを信じているために受ける苦難のことです。けれども、苦難が訪れたとき、私たちは苦難がもたらす良い結果を喜ぶのです。


まず苦難は、苦しい状況でも信仰を保ち、イエスさまを主とあがめ、愛していく忍耐を生み出します。次に忍耐という信仰のテストを受け、テストを通されたという証明(練られた品性)を得るのです。これはクリスチャンの信仰の成長を表しています。そして、苦難によって信仰が成長した人は、将来の栄光への希望を確信していきます。苦難という道を通されることによって、イエスさまを信じて義と認められた人に約束されている栄光にあずかるという希望がはっきり見えてくるのです。


この手紙を書いたパウロは、「この希望は失望に終わらない」と力強く宣言しています。なぜなら、イエスの十字架で明らかに示された愛はそれ以来ずっと、私達が苦難を通されている間も絶えず注がれているからです。苦難に直面するとき、「それでも神は私を愛してくださっている」 と口に出して告白しましょう。私たちはその時、神の恵みに導き入れられているのです。


私たちに将来待ち構えている 「神の栄光にあずかる」 という希望は、何があってもなくなることはありません。



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