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執筆者の写真バルセロナ日本語で聖書を読む会

月報No.194(2021年4月)いいですか、私は確かにあなたがたに伝えました。

マタイによる福音書 27章 62~66 、 28章 1~8節 北島 嗣郎 伝道師


私が聖地旅行に行った時、イエス様の墓かも知れないという場所に行きました。しかしそこには「ここにはおられません。よみがえられました。」と書いてありました 。皮肉なことに絶対に葬られた遺体がない墓に私は、列をなして入ったのです。


今日は、この 「いいですか、私は確かにあなた方に伝えました」 という御使いの言葉から私たちは一体何を伝えられたのかについて学びたいと思います。


イエスを処刑した後、死刑執行人のパリサイ人たちに達成感はなく、むしろ怯えていました。彼らは死人をよみがえらせたイエス様の奇跡を見た人たちで、一度死んだラザロが今も村に生きていました。だから 「 わたしは三日後によみがえる 」 と言われたイエス様の言葉 が成るのを恐れたのです 。


主の弟子たちが一人として復活を信じていいなかったのに、反キリストの律法学者たちの方が一種の信仰を持って いたということは 非常に残念なことですが、現在の教会や牧師、信者にもあり得る事ではないでしょうか。洗礼を受けたクリスチャンでも、処女懐妊や復活は事実ではないと考えている人たちが実際にい るのです。


もし復活を信じないのであれば、キリストは神ではなく、宣教のために殉教された方たちの死も無駄だったということになります。しかし、人は作り話のために命を捨てることはできません。信じていなかった弟子たちは確かに復活の主を 見た。会った。そして この事実 を語らずにはいられなくなったのです(使徒 4:20 )。 300 年で 200 万人の殉教者が出たといわれる程の迫害にもかかわらず、キリスト教は全世界に広ま ったことから見ても、 キリストが復活しなかったことを証明することの方が難しいのです。


イエスの復活を心配するパリサイ人の要請を受けて、ピラトは番兵を出し、墓を 石 で 封印することを許可しました。これほど厳重に墓を封じてもイエス様はよみがえられたのです。現在の私達の世界でも、サタンは私達の目に見えない番兵を置きます。その番兵は私達クリスチャンから喜びや力を取り去ろうとしますが、歴史の中で教会はこれらの迫害に勝利し続けてきました。ヨハネによる福音書 1 5 に書かれている通り、闇は光に打ち勝てないのです。


イエス様が十字架にかけられている間、通りすがりの人たちは次々とイエスをののしりました。(マタイ 27:39-43) これは律法学者、そして私達を取り巻くこの世、サタンの勝利宣言で す。しかし、この勝利宣言は 3 日後、みごとに覆されます。


『ここにはおられません。前から言っておられたとおり、よみがえられたのです。さあ、納められていた場所を見なさい。そして、急いで行って弟子たちに伝えなさい。『イエスは死人の中からよみがえられました。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれます。そこでお会いできます』 と。いいですか、私は確かにあなたがたに伝えました。』 マタイ 28章6-7節


この世の勝利宣言はわずか三日間でしたが、イエス様のこの勝利宣言は今も、そして永遠に続いていくのです。どんなに大きな 墓石や軍事力、権力があっても神の子を墓の中に閉じ込めておけなかったのは、このお方が全能の神だからです。


イエス様の墓に主の天使が降るのを目にしたとき、番兵たちは震えあがり失神しました(マタイ 28:4 )。一方、 イエス様を信じる女たちは、“ 恐ろしくはあったが大いに喜んで、急いで墓から立ち去り、弟子たちに知らせようと走っていった ”のです(マタイ28:8 )。これが救いを受けるクリスチャンと信じない者のちがいです。そしてこの違いはイエス様の復活から来るのです。


私たちの人生には、サタンの策略や、失敗、悲しみがあります。 しか し イエス様の復活は、私たちの喜び、感謝と信仰、永遠の命を見させてくださ り 、神様の偉大な力を示してくださるのです。


「いいですか、私は確かにあなたがたに伝えました。」


次はあなたがこの喜びを伝える番です。



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