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執筆者の写真バルセロナ日本語で聖書を読む会

月報No.193(2021年3月)十字架上の7つの言葉

主イエスが十字架につけられている間に発せられた7つの言葉の中にはキリスト教の中心が全て、すなわち十字架の意味、救いの道、救いの結果など、聖書の教えの真髄が含まれています。


① 無条件の愛 ルカ 23:34 『そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」』 その時というのは、無実の罪を負わされて罵りを受けながら主イエスが十字架につけられた時です。主イエスはその彼らのために、神へ赦しを祈られたのです。なんという愛でしょうか。人間の愛は条件付きです。しかし、主イエスの愛は誰であっても、どのようなことがあっても変わることなく最後まで愛し通す、そういう愛なのです。イエス・キリストに愛されていない人は一人もいない。あなたがキリストを救い主として受け入れていようがいまいが、キリストはあなたを愛しています。十字架上で最初に発せられた言葉、それはご自分の無条件の、永遠の愛の言葉でした。


② 恵みによる救い。ルカ 23:43 『するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。』主イエスと共に受刑した二人は、おそらく悪の限りを尽くした報いとして十字架につけられたのです。しかし隣で十字架につけられた主イエスの崇高な尊い姿を見、前述の祈りの言葉を真横で聞いた。二人のうちのひとりが心を打たれ、悔い改めました。そして「私を救って下さい。」と願ったのです。その彼に、「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」 と主は仰った。すなわち、どのような人であっても、どこにあっても、いつでも、自分が罪人であることがわかり、キリストが自分の罪を負って死んでくださった救い主だと言うことを信じるならば、その瞬間にその場で救われることができるということです。必要なのは神様の正しさ、神様の義なのです。


③ 新しい人間関係が始まる。ヨハネ 19:26-27 『イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。』母親マリアと弟子のヨハネの間に新しい家族関係が生まれたのです。この言葉の中に主を信じることによって新しい人間関係が生まれるということの象徴を学ぶことができます。イエス・キリストを信じるなら血縁関係とは別にそれを越えた素晴らしい関係が生まれるということです。肉親に言えないようなことでも言えるような家族が与えられるのです。


④ 私たちの身代わりに。マタイ27 :46 『三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。』これは詩篇22篇から来ています。これは主イエスが私たちの身代わりとなられたために父なる神から見捨てられて、関係が断絶された時に発せられた言葉です。でもこの叫びがあるがゆえに私たちは救われることができたのです。このイエス様の祈りの叫びが無ければ、全人類はやがて神の裁きの前に立つ時に、この祈りを、この叫びを上げなければならないからです。


⑤ 心を満たす約束 ヨハネ19 :28 『この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。』主は渇きを訴えられた。これは霊的な渇きです。父なる神様から断絶されたことによって霊的な渇きというのが大きかったのです。動物はともかく、人間は神の形に造られた霊的な存在ですからこの世のものだけでは霊的に満たされないのです。しかも霊は永遠ですから一時的なものを得たとしてもそれで満足することはできないのです。イエス様は私たちに代わって神に見捨てられ、十字架にかかったのです。そのイエス様を救い主として受け入れた時に、神の御霊がやどり、私たちは心から感謝し、喜び、平安に満たされるのです。


⑥ あがないの完成 ヨハネ 19:30 『イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。』主が息を引き取る直前に発せられた言葉 「成し遂げられた」 は、ギリシア語でビジネスの支払い完了という意味です。全く罪のない神の御子が私たちの代わりに死んで代価を払ってくださったので、もう全人類の罪の支払いは終了しているのです。だからイエス様を信じて受け入れるだけで私たちは救われることができるのだということをぜひ知っていただきたい。


⑦ 安らかな死を約束する ルカ23:46 『イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。』イエス様はご自分の使命を果たし終えられると 「父よ、私の霊を御手にゆだねます。」と言って安らかに息を引き取ったのです。これは安らかにキリストにあって死んで行くことの模範であったのです。イエス様によって罪が赦され、永遠の命を受けとことを信じている人は安らかに死の門をくぐることができるのです。これこそ最大の慰めであり、希望なのです。


十字架上での言葉こそ聖書の神様の御言葉の真髄です。神は愛であり、素晴らしい計画を持っておられる。だから人生に問題がおきても、必ずこれを益として下さるに違いない。私たちクリスチャンはそう信じることができるのです。このイエス様の十字架によって私たちは救われ、永遠の命をいただいているということを今日、確認しましょう。


十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。 コリントの信徒への手紙一 1:18 新共同訳





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