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月報No.191(2021年1月)壁の向こうへ延びる道

ルカによる福音書 8 章 40 42, 49 56 大阪姫松教会 藤田 英夫 牧師


町のユダヤ教会の会堂長、ヤイロは地元の信望篤く、家族を愛する人格者だったに違いない。その彼の 12 歳の娘が死の床に つ いたとき、彼は必死で看病 し回復を願って手を尽くした。しかし娘は衰弱の一途をたどり、ヤイロにはもう神にすがる ほか道がなくなった。彼はしかし、人をやってイエス様を連れくるよう頼むのではなく、今にも死にそうな娘の床を離れて自分で主を探しに走った。


ところが いつもイエス様がおられるところへたどり着くと、今日に限って主はガリラヤ湖の向う岸に行っているということ で不在だった。 なんということだ。こんなに時間がないのに。そしてようや く一行が戻って くると、ヤイロは群がる大群衆を押し分けて主の前にたどり着き、足元にひれ伏して娘の命を救うために家に来てくれるよう懇願した。彼は、主イエスならきっと助けることができると信じていた。主はその彼の願いを受け入れて、彼の後について家へと向かわれた。


しかしこの道も順調にはいかなかった。 長い闘病生活をしていた女がイエスの服に触れて癒していただくという事があ り、 主が立ち止まって女を探し、会話され るという事が起きたのだ。 ヤイロは じりじりする気持ちで見ていただろう。そのヤイロの所に家から使いがやってきて、娘が亡くなったことを告げた。


ヤイロの気持ちは聖書に書かれていないが、 彼の心には急速に絶望と悲しみと悔しさの暗雲が立ち込めてきたのではないだろうか。 肩を落とし、おそらくは膝をつき、手を地について大粒の涙をながした かもしれない 。 主イエスを信じる心 すら 折れそうになっているヤイロ に、主は 「恐れることはない。ただ信じなさい」 と言葉をかけたのだった。


私達は皆、生まれてから「 死 」 という 壁に向かって伸びる道を歩んでいる。私達の命はこの壁にぶつかり、そこで終わる。この壁は私達が乗り越えることができないものであり、ヤイロはそのことをよく理解 して これを恐れていた。 彼は今まで、娘の救いという希望を主に託して家路を急いでいた。しかし突然 、彼が 進む 道に この 壁が立ちはだか って 進めなくなってしまったのだ。いったい何がいけなかった という のか。悲嘆にくれるヤイロ に 主 イエスは、「信じる心を捨ててはいけない。今こそ私を見、そして信じなさい」 という意味で前述の言葉をおかけになった。そして 、 ここ まで は ヤイロの後ろを歩いていた 主イエス が 、 ここからは 彼の前に立 ち、 彼を率いて進んで行かれた。なぜなら、 主イエスは娘を救うことができるから。


ここで言う主イエスによる 救いとは、死んだ娘を生き返らせることではない。確かに娘は主が言葉をかけると息を吹き返したが、この娘はその後寿命を全うして死んでいるので、 それは娘が死という壁を乗り越えたことを意味しない。主の救いは生き返ってから再び死ぬまで というような限定的な期間で終わる も のではない。 救いとは 、 主を信じる 者 の 命 が 壁の前で終わるのではな く 、 主に手を取られて その 壁を 越え て 歩 み 、 いつまでも失われることのない 神との 交わりの中におかれることを意味している。つまり、主イエスを信じる者の歩む道は 、 こ の壁を越えた向こう へと 続いていく。


死をも超える交わりやつながり。それは何より、主イエスがその御手で 私達をとらえていてくださるということ であり、そのようにして私たちを主イエスのものとし、永遠に主から離れることのない者としてくださる。「ただ信じなさい。私はこれまでも、そしてこ

れからも、あなたを救う主として 必ず共にいる。あなたの主としていつでもあなたと共にある。」 そう語ってくださっている。


混沌の中で迎えた今年、あなたの前を歩んで道を開いてくださる主を信じて歩もうではありませんか。


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