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月報 No.185 (2020年 7 月号) キリストの救い

更新日:2020年10月4日

ローマ人への手紙 5 章 12 節

このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、

死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。


聖書は「最初のアダム」と「最後のアダム」についての言及があり、コリント人への手紙、第一 15章47節に「第一の人は地から出て、土で造られた人ですが、第二の人は天から出た方です。」 と説明されています。


「最初のアダム」は神様が土から作り、エバと共にエデンの園に置かれた人で、罪が無く、お互いに裸でした(隠すことが何もなかった)。その二人に神は、「園の中央にある善悪の知識の木の実だけは食べるな、その木から食べる時、あなたは必ず死ぬ」と言われます(創世記2:16-17)。 これは、人が神の命令に従うことで、神に全幅の信頼を寄せること、従順になることを彼らに期待されたのです。


善悪の知識の木から食べるというのは、神に従うのではなく、離れて自分で判断していくという事を意味します。そしてこれは女性が創造される前に、神がアダムに言った言葉です。しかし狡猾な蛇(サタン)は女をそそのかし、この木の実をアダムに食べさせ、人類が死を迎える罪人へと変えてしまうのです。


サタンがエバを誘惑したように、私たちも誘惑を受けることはあります。それ自体は罪ではないのですが、その誘惑に落ちたらそれは罪です。サタンはエバの誘惑に際し、「食べても死なない。食べるとあなたがたが善悪を知るものとなり、神のようになれるのです」と言ったのです。このときアダムはエバの近くにいたのに彼女を止めなかった。だからアダムのほうがエバより罪が重い。こうして罪のDNAが彼らに入り、エデンの園から追われ、彼らの息子は早速殺人を犯してしまいます。神から離れた人はこうして、罪ある人生を送り、死んで裁きを受けるものとなってしまったのです。


「最後のアダム」は、主イエス・キリストのことです。最初のアダムも最後のアダムも婚姻関係を経ないで誕生しました。二人とも自由意志を持 っていましたが 、アダムはそれで罪を選び、イエスは神に従うほうを選びました。 二人ともサタンから 「神のようになれる」と 誘惑を受けましたが、アダムは負け、イエスは勝利しています。 二人とも罪なく生まれますがアダムは罪を犯して人に死をもたらし、イエスは最後まで罪をおか しませんでした。アダムは罪を犯した原因を妻 エバ のせいだとして神に謝罪しませんでしたが、イエスは罪を犯していないのに、人類の罪をその身に負って自分が処刑されるという犠牲を払ってまでして神と 人に 和解 と 命をもたらしました。


つまり、 最初のアダム ひとりによる神への 不従順によって多くの人が罪人とされたのと同様に、最後のアダムであるイエスひとりの従順によって 、 多くの人が神に罪赦された正しい者 、義人 とされるのです。


神は、そのイエスを死人の中からよみがえらせました。それは、神を離れ、罪の中にあって死んでいた私たちが、主イエスの復活のいのちによって生きるためです。だからイエスは初穂だと言うのです。死に勝利された主に私たちも追従するのです。よみがえられた主は、いつも私たち共におられ、共に喜び、悲しみ、サタンに勝利してくださいます。


最初のアダムがエデンの園を守ることに失敗したものの、最後のアダム(主)は、危険や悪から私たちを護ってくださるのです。なんと素晴らしいことでしょう。


クリスチャンとは、良い人間、敬虔な人、真面目な人がなるのではなく、最初のアダムから離れて最後のアダムのキリストと一つになることです。その時に、内側から愛の喜びが湧いてくることを体験するでしょう。さて、あなたは今、どちらのアダムと一緒にいますか?


北島 嗣郎 伝道師


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