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月報 No.183 (2020年5月号)あなた方は私の証人となります

更新日:2020年6月3日


しかし、聖霊があなた方の上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、私の証人となります。


これは、天に昇られる前のイエス・キリストが最後に弟子たちに言われた言葉です。

そして弟子たちはこのお言葉に従った。十字架の前で全員逃亡した弟子たちがこうも劇的に変えられたのかは、私の大きな疑問でした。しかし、強烈な迫害にも負けずに伝道を続けたこの弟子たちの姿は、現在の私たちのモデルです。では私達はどうすべきでしょうか。



今日のテキストにあるように、まず、聖霊に満たされることが必要です。弟子たちは弱く、貧しく、無学な人たちでしたし、イエス様が処刑されてまだ 50 日しかたっていないエルサレムは緊迫していて、彼らは周囲から迫害され続けました。信仰の自由もない社会の中で、それでも主イエスを宣教し続けたのは、冒頭のイエス様の言葉を信じたからです。聖霊が降られることを待ち望み、そしてそれをいただき、聖霊に満たされたからこそ、力強く歩むことができたのです。


イエス・キリストを救い主として受け入れると、神の御霊が私たちの内に宿ってくださいます。そうすると私たちの心は聖霊に支配されるようになります。これは神様に用いられるために必須な条件です。私たちが憤りに満ちると心が怒りに支配され、酒に酔うと酒の力に支配され、悲しみに満たされると心が悲しみでいっぱいになります。しかし聖霊を受けると心が聖霊で満たされるのです。そして御霊によって、人は変えられるのです。



ところでクリスチャンには 2 種類あると思います。神様より自分を優先して生きる、肉に属する人と、救われて神様のみ言葉を第一にする、御霊に属する人です。

私たちはどちらでしょうか?


御霊に属するには洗礼を受けているだけでは足りません。キリストを心の中心に据え、神様のみ言葉を優先することが必要です。しかしそれには無学でも問題ありません。聖書をあまり知らなくても、神様の力を持つことができるのです。



今日のテキストに、「私の証人となります」 とありますが、証人とは、自分の体験した事実を証する人のことです。初代教会の人たちは、彼らが目の当たりに目撃した十字架の事件と、蘇られたキリストのことを証したのです。キリストの証人になるということは、彼らのようにキリストを証することと、キリストにあって自分が体験したことを証しすること。つまり、多くの事を学んで知識を積まなくても、自分が体験した事実を語ればよいのです。事実ほど強いものはありません。今まで何度も、私は自分自身の過去において、病を通してキリストに出会ったことを証してきましたが、時に 「なぜ自分の病気について話すのですか?私にはとてもできません」 と言われることがあります。でも私にとって病気のことは事実

であり、そのことを通して証しすることができるから話すのです。事実は誰も否定できません。



最後に、今日のテキストで主は、まずエルサレムに証し、それから周辺に証するよう言われました。当時のエルサレムはまだ反キリストが色濃く、キリストを証するのは恐怖だったことでしょう。しかし弟子たちは実施し、エルサレムを福音で満たすことができました。同じように私たちも


まず家族へ、そしてクラスメート、仕事の同僚へと証していくべきなのです。


北島嗣郎 伝道師

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