マタイ福音書18:21-35 亡き永六輔さんはこのようなことを言いました。「生きているということは、人にものを借りるようなもの。生きていくということは、人にものを返していくようなもの」 今日のみ言葉は王に1万タラント(現代の6千億円)の借金を赦してもらいながら、自分が別の人に課した100万円程度の貸しを赦せなかった家来に言及しています。この家来は私たちクリスチャンを指しています。人には誰にも、あれだけは赦せないという思い出がありますが、赦すとは、あなたに害を与えてきた人のその行為そのものを忘れることです。こんなこと私たちにできるでしょうか。どうすればできるのでしょうか。
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